私の中の瀬戸焼は黄色の釉薬のかかった 黄瀬戸と言われる器や白磁に色鮮やかな絵付けされた器というイメージです 岐阜の東濃窯や美濃窯が窯業されるようになったのは 実はココ瀬戸市から人が移った事によって 後の古瀬戸 志野 織部 などの焼き物 桃山陶工文化の流れとなったんでしょうか… 瀬戸さんぽをしながら― 市内の真ん中を流れる川も昔は石粉の色 白色だったのかなぁ 急斜面で登り窯がもっとあったのかなぁ そんな事を思いました。 幼少期の頃住んでいた土岐、瑞浪の伯母や祖母の台所をふと思い出し 昔は冠婚葬祭は自宅で行われ料理を頂く器も10客以上あり 白磁に濃紺や赤茶の絵付けの器でご飯やおつゆを頂いたっけ そうそう松竹梅柄や唐子柄 高台があり盃のような形だったっけ 春慶塗のお膳やお膳箱もあったよなぁ~~ 伯母のウチも昔は行商をしながら生計をたてていましたが 需要が少なくなり 廃業。。。便利になったり 他国のモノが流通しだんだんとこうした焼き物やさんも減っていく けど近年こうした器の価値が見直されたり地元の方々の試行錯誤しながら変えていく力が 新たなかたちになって甦る… 嬉しく応援したくなります 何気なく使っているお茶碗や ちょっとお洒落な器 もう少し大切に使わなきゃ!なんて思いました… 頑張れ! location:Aichi seto city/瀬戸市銀座通り商店街 これにて せともの 瀬戸物のお散歩写真はおしまいです^^ お付き合い下さりありがとうございます。(文章力…苦手でスミマセン…) 長~~いGW 瀬戸街もいいですよぉ♪ 拙いおしゃべりに 訪問ありがとうございます。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
by nf20i1y1509
| 2019-03-25 11:33
| 写真 カメラ
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